PROFESSIONAL VOICE

VOW-VOW | Hair Stylist<br>TAKU

VOW-VOW | Hair Stylist<br>TAKU

ヘアスタイリストTAKU / 大野拓広 1997年に渡英し、『i-D』や『THE FACE』などの ファッションカルチャー誌のクリエイションに参加。 帰国後もトップヘアスタイリストとして活躍する。 2013年には自身がディレクターを務めるサロン(CUTTERS)をオープン。 また2021年4月にはビューティを専門にするエージェンシーの<VOW-VOW>を設立した。 仕事の距離感を大切にしている。 受けた仕事は、120%チカラを出したいなと思っているんですよ。だから、これまで続けてこられたのかなという感じはしています。例えばモデルさんだったり俳優さんだったり、部屋の中でとか、結構その人との距離感ってあるじゃないですか。相手との距離感は、近づきすぎないようにして、距離感を保つようにしています。慣れあうのではなく、程よい緊張感が大事だと思っています。 ヘアスタイリストだから 服装には気をつける。 ヘアスタイリストとして、毎回気をつけることは自分の服装とかですかね。ボーダー好きだからボーダーは良く着ているんですが、仕事は基本無地なんです。なぜかというと、モデルの後ろに立つことが多いじゃないですか、その場合、黒髪とわかっていたら、服は白なんですよ。後ろに立った時に鏡に映ったフォルムがちゃんと見えてくる。一応、それは決めごとにしています。だからモデルの髪色が金髪のときは、黒いTシャツを着たり。自分の好きなものは着ないです。基本は今日のモデルは金髪だから黒にしようとか、そこからまず1日が始まる。僕のクローゼットは、もう黒のTシャツ、白のTシャツ、ボーダー、その三つしかない。 ユニフォームはお客様を引き立てるもの。 僕のサロンのユニフォームもそうなのですが、グレーを起点にしてなるべく主張しないで、お客様を引き立てるように心がけています。オープン当初に作ったものは、かなり馴染んできて、汚れやシワも味になっていますね。夏はシャンブレー、冬はコットンヘリンボーン。季節で替えています。スタッフの服装もジャージやスニーカーなどさまざまですが、その上に1枚何か羽織ることで統一感が出るじゃないですか。みんな同じ着こなしをしなさい、というよりは1枚でも同じであれば、その人の個性もちゃんと出せる。例えば襟を立てる人もいれば立てない人もいる、全部ボタンをする人もいれば外す人もいる。それが個性になる。サロンの店内は、壁が全部寒色系なんですよ。寒色のチャイナブルーという色にしているんだけど、それはほとんどのお客様が日本人で肌に黄色みがあるから。肌が綺麗に見えるよう寒色にしたんですよね。気づけば自分の中では、そういう気遣いはしてるのかな。自分がひとりの黒子というか、自分がサポートする役割として、考えています。 さきほど言った、ほどよい距離というのも大事で、言われたことだけやる「今日はこうしてください」「はいわかりました」だけだと、ただの職人じゃないですか。それもいいけど、それをこうするのはどうですか?っていうキャッチボールができるには、やっぱり仲良くなりすぎちゃうと、それができないと思うんですよ。お互い緊張感を持って、一緒に作り上げるみたいなことですかね。相手の言いなりでもない、僕の押し付けでもない。臨機応変に、それって結局自分がニュートラルにいなくちゃいけない。そういう風に心掛けています。 ニュートラルでいたいから、 絵とキックボクシングを始めた。 ここ最近は、ニュートラルでいたいなっていう思いがあって。去年から、絵を描き始めました。元々、絵とかは全く描いてないんですよ。何か習うでもなく全く自己流ですね。でも面白いです。それとほぼ同時期にキックボクシングを始めました。 20歳ぐらいのときからヘアスタイリストの道に進んで、ずっとそればかりやってたから、全てはそれに繋がるような生活をしてたわけですよ。ずっとそんな感じでやってきたんだけど、さすがに60歳近くになって世の中も常に変化していて、ファッションショーとかも、昔と違ってブロガーがフロントに座るじゃないですか。いわゆるインフルエンサー的な人たちが力を持ってきた。今やファッションジャーナリストの力がなくなってきて、いろいろなことが変わってきてる時代で、やっぱり自分がもっとフラットでいなくちゃいけないなって思ったのがきっかけですね。そのためには体力をつけたいなと思って、キックボクシングを始めました。サンドバッグを打ってるときって結構気持ちが良いし、爽快感がある。周りは手を使う職場なんだから気をつけてくれって言うんだけれども、手を使う職業だからこそ、余計にいいですよね。なるほどこう打つと効き方が違うんだなとか、例えば綺麗にパンチが入ったときって全く痛くなくて超気持ち良かったりとか、遠心力がうまく使われたりとか、言葉で説明できる。ちゃんと自分の腕の仕組みと、手の動きが自分でわかるんですよ。今はトレーナーの言う通りにいろいろ練習していますね。 絵に関しては全く逆で、グラデーションの付け方とかって、今YouTubeとか動画を見ると、みんなめちゃくちゃ上手いわけですよ。すごい写実的で綺麗、でもそれが心に刺さるかというと全然刺さらなくて、だから自分勝手でも自由に描くことにした。これ、自分の中で一応ルールがあって、絶対に何かを参考に見ながら描かないっていうことと2時間以上描かないっていうルール。自分の中でルール化して、とにかく集中する。やっぱり描いてる時って無心になるから、余計なことは考えてないわけですよ。もう、ただただ色をキャンバスに乗っけてるだけ。でも自分の中でうまくいくと、すごく嬉しい。 キックボクシングにしても絵を描くことにしても、これまで僕が60年近くやったことないことを初めてやってみて、全く新たな経験をすることで脳も活性化していく。それが結局ヘアスタイリストとして仕事するときに、自分をちょっとフラットにしてくれる要素もあったりするのかな。今はそのバランスが、面白いですよね。

Wave Creation | Art Directer<br>中島祥文

Wave Creation | Art Directer<br>中島祥文

アートディレクター中島 祥文 Shobun Nakashima 1944年生まれ。スタンダード通信社、デザインオフィスナーク、 J・W・トンプソンを経て1981年ウエーブクリエーションを設立。 2001年~2011年、多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授・学科長。 東京ADC最高賞(一般)、東京ADC会員最高賞ほか受賞。 主な仕事に、ウールマーク、J.P.ゴルチェ、トヨタ・ウィンダム、 伊勢丹、カネボウ・モルフェ、AGF・マキシム。 ロゴデザインと広告展開を担当した仕事として、 JR東日本・VIEWカード、サントリー・エルク、AIR DO、渋谷ヒカリエほか。 ずっと考えている。答えに行きつくところまで考える。 私は長い間、アートディレクションを手がけてきたのですが、毎回自分なりのテーマを見つけて追求しています。そのテーマについて一日中考え続けていて、例えば朝起きたときなんかも、急に思いだしてそこで集中するとか。目の前の解決していない課題を、答えが見つかるまで考え続ける感覚というか。そうするとどこかで行き当たるものがあって、それが自分の考えになる、そういう感覚に近いですかね。ふとアイデアが湧いてくる、みたいなことはほとんどないです。 同じクライアントの仕事を3年、5年、10年と手がけることがあります。極端に言うとその数年間は、その商品のことをずっと考え続けるということなんです。 例えばウールマークの仕事をしている時は、海外旅行でパリに行っても、ウールという素材を市場がどう受け止めているかを考えながらお店に入ったりするんですよね。ショッピングしているんだけど、今、ウールのトレンドはどうなっているのか?とかね。クライアントから課題を与えられていなくても、それを見続けるというか。生活したり仕事したりしている間の意識のどこかに常にウールマークというものがあって、それに何か結びつくようなものを探すとか、気がつくとかいうことが多いです。 休みの日も関係なく考えている方が自分としては心地いいんですよね。つらいとか苦しいとかじゃなくて、心地いいんですよ。そういうことがなくなると、自分でも寂しくなるというか。私にとって考え続けることはむしろポジティブなことで、精神的にも肉体的にいい状態なんですよね。 ぶれないブランドであってほしいという願いを込めて。 今回、ユニバーサルフォルムのロゴデザインを手がけました。当初、丸本さんから「ひと昔前のアメリカのトーンにしたい」というお話をお伺いしまして。そのトーンは私の好きな世界観でもあったので、共通のイメージをもってスタートできたのは良かったです。ロゴを考えるにあたって、このブランドがこの先どういう位置づけを目指すのかということが大事だと考えていました。地に足をつけたしっかりしたもの、いろいろなものに対してぶれないものというか。丸本さんが当時のアメリカのロゴに魅力を感じるとすれば、そういうぶれない良さが作りたい、ということじゃないかと思ったんですよね。 例えばその頃のアメリカには「エスクァイア」という雑誌があって、表紙には必ず強いメッセージとビジュアルが載っていたんです。その関係性が非常に魅力的に映ったという記憶があったので、その書体のイメージをアレンジしました。 デザインを研ぎ澄ましていって、その中で最も抽象化されたものを丸本さんに選んでいただいた。丸本さんならではの世界を感じるロゴができたという感じですかね。 ネクタイをすることが僕の流儀で、ユニフォームだった。 私のルーツは外資系の広告代理店なんですが、上層部が社長から役員までアメリカ人で構成されていて、彼らの服装がやっぱりちゃんとしていたんですよね。当時はまだ今ほど服装がラフではなかったのでほとんど全員ネクタイをしていたんですけど、特に役員会みたいな重要な場面で話すときに、彼らが一番気を遣っていたのはネクタイでしたね。ネクタイぐらいは負けちゃいけない、みたいな感じで。 今のクリエイターでネクタイが好きな人ってほとんどいないですよ。多分知る限り、私が唯一ですね。嫌だと思ったことはないですよ。どんなに暑くても、プレゼンテーションの時やお客さんのところに行く時は必ずネクタイをするというのが自分の流儀になっています。仕事の場なのだから、せめてその場を自分で感じながら仕事をした方がいい。それって、ユニフォーム的かもしれないですね。おそらく仕事をしているという緊張感のようなものを、自分のスタイルの中に取り入れたいんですよね。

Artist | 井田幸昌<br>

Artist | 井田幸昌<br>

画家 現代美術家井田 幸昌 Yukimasa Ida 1990年鳥取県生まれ。2019年東京藝術大学大学院油画修了。 2016 年現代芸術振興財団主催の「CAF 賞」にて審査員特別賞受賞。 2017年レオナルド・ディカプリオ財団主催のチャリティオークションに史上最年少参加。 2018年Forbes JAPAN 主催「30UNDER30JAPAN」に選出。 2021年にはDiorとのコラボレーションを発表するなど多角的に活動。 制作は絵画のみにとどまらず、彫刻や版画にも取り組み、国内外で発表を続けている。 表現の本質ってどこにあるんだろう。 僕は、絵画を中心に日々制作を続け、表現活動を行っています。作品の制作過程では、最初に計画した通りに表現できないことよりも、予定調和のまま描き、予定調和のまま終わってしまうことの方が辛いと感じる場合があります。僕じゃなくてもできるでしょ、と思ってしまう。ではどんな時に作品制作の喜びを感じられるかというと、僕じゃない何かが降りてきて表現するような感覚になって描けた時です。何度もトライアンドエラーを繰り返して描き続けるなかでは、僕一人の力で描いたのではないという感じられる時があるんです。そんな作品ができると嬉しいし、人も感動してくれるように思います。「どういう風に作ったんだろう?」っていう謎が生まれる。それは自分でさえも分かっていないもので。完成の99%まできた時、ラスト1%の余白がどう埋まるかで作品の良さが決まってしまうような感じがありますね。 また、「表現の本質」にある自分なりの理念として、創作者と鑑賞者の相互に幸せや希望がなければいけないと思っています。制作者である僕も含め、人の感情が動く何か、somethingがないものっていうのは表現として成立しないんじゃないかなと思っています。 僕の作品は暴力的な表現だと評価されることもあります。確かに激しい作品を作る作家なのかもしれない。ただ作品には、過ごしてきた時間に対するプライドとか美しさに対する尊厳などを込めていて、それを表現しています。希望に似た何かが作品の中に題材として無いと、誰かを不幸せにしちゃうと思っているんですよね。表現ってそういうものではないでしょうか。 何かが降りてこない時の葛藤もある。 それは自分では、はかれないものです。“今日だめだな”みたいな時は、起きた瞬間にそれがわかってしまう日もあります。気づかないふりをして、頑張ってみると払拭できる日もあるんですけど、8割はやはりだめなんですよね。あらがっていながら作品に向かっているときは、やっぱり辛いですよ。でも、ある巨匠が「すごく苦労をしていても、いとも簡単に書いたような絵じゃないと名作とは呼べない」といっているのをみて、僕はその通りだと思いました。苦労を見せたいわけではなくて、どう美しかったかとか、いかに美しいのかといったことを示すのが僕達の仕事だから。葛藤はあるし、苦悩はある。たまには絶望するような気持ちの時もあるんですけど、それもひっくるめて全部「表現」の要素として使って、いい作品になるのならそれさえも耐えるしかないなというのは、常日頃自分に言い聞かせています。 先日、大きな失敗をし、悔しすぎていつも素振りで使っているバットに当たって地面にたたきつけました。バットがバリーンって割れちゃって。あ、これは暴力だから、ダメダメってなりました(笑)。 制作が上手くいっている時の快楽に似た万能感も知ってしまっています。僕に限らず、表現者の快楽っていうものが多分あると思う。上手くいっている時や完成した時は、本当に幸せで、もはや中毒のようなもの。だけど、そこにいくまでの道中はやっぱり失敗もするし、苦悩もあって。快楽を知っているからこそ、その時の絶望感ったらないですよね。真剣に創作している方には共感いただける気がします。 絵を描くプロセスは、いつもぐるぐる回っている。 プロセスというかサイクルというか。自分の日々の全てが表現につながっていると思います。日常に何かしら網を張り続けて生きている感じがあって、道端を歩いている最中でもモチーフを見つけることもあります。また、イメージの生成はその網を張っているところから始まっていて、描くというのは自身の表現のプロセスにおいては一部なのかもしれません。どういう順序なのかはわかりませんが、ずーっとぐるぐるぐるぐるしてるっていう感じです。だから終わりも始まりもない感じはあります。やっては考えてやっては考えて、みたいな。 ルーティーンとしては、どんなに嫌でも自分のスタジオには行くようにしています。 描きたくなくても、とりあえず居て、そこでボーッとしてる。イメージが降ってこないかなーと一日中何もせず散歩に出かけたりしながら過ごすこともあります。三日スタジオ空けるともう不安にはなります。スタジオ依存症?制作依存症?でしょうか(笑)。創んなきゃ不安っていう・・・。 創っている最中は、ほぼほぼ何も感じないですね。もちろん苦労もあるけど、描いている時が一番楽しくて、生きていて楽とさえ感じる時間です。 誰かに求められて描く絵と、 自分が描きたい絵と。 人から頼まれたものを描くと、途中でイメージが切れちゃうことがあります。頼んでくださった方にイメージのゴールがあるので、それに僕が合わせていくとそれ以上イマジネーションが降りてこないというか、湧いてこないんですよね。限界値が僕にないというのはしんどくなることはあります。自分が描きたいものを描かせていただく方が僕には向いているんだと思います。 だって描きたいということは、それが好きだし、それの魅力を知っているということ。どうやって描こうかなってこうワクワクするんです。そのワクワクする感じを表現するので、それを見ていただきたい。僕は、絵を描きたくて画家になった。画家になった理由は、好きなものを創りたいから。その好きなものというのは、自分が生きてきて出会ったもののはずで、それを描くことが僕にとっての描くっていう行為なんです。いろんなタイプの方がいらっしゃると思うけど、僕の場合はやっぱり僕が何を見たかを見てほしい、そしてそれがいかに人に伝わるか見てみたいという思いで、画家を、表現を続けています。...

木工作家 |  高山英樹

木工作家 | 高山英樹

木工作家高山 英樹 Hideki Takayama 石川県能登出身 益子町在住 文化服装学院を卒業後、都内で舞台衣装や布のオブジェなどを制作。 のちに北米や中米、アジア、ヨーロッパなどを旅しながら、国内では内装や家具 の制作を手がける。2002年に益子へ移住しテーブルや椅子、オブジェなどを制作。建築プロジェクトにも参加している。 カントリーサイドでのDIY生活を楽しみながら、家具やオブジェを制作。作品を国内外で発表。 依頼者とのコミュニケーションがあるべき場所にあるべき形を生み出す。 例えば僕の作るテーブル。僕が作品として作ったというよりは、依頼者の思いをちゃんと受け取って、その場所にテーブルを置くことの意味を考えて、作っている。 「自分が作った作品です」みたいなことよりも、そこに存在する意味がちゃんと現れて、依頼者と僕とのコミュニケーションの表れでもあってもらいたいから。作ったからどうぞということではなく、どこに置くのか、どういう思いで依頼してくれたのか、そんな流れをちゃんと踏まえたいなという想いはずっとあるんです。 あるとき、自分がどこに向かっていくのかがだんだん分かってきて。作った家具を納める場所に納めたときに、依頼者が「素敵なものを作っていただいてありがとう」って。そのとき僕は「いいでしょ」って言ったりするんだけど、そんな依頼者との会話のシーンを頭の中でイメージして、その笑顔に向かって作っていく。だから、空間も見させてもらって、見られないときは、データやいろんな情報をいただいて、何かそのシーンみたいなものに向かって作っていって、実際にその空間に収めたとき、そんな感じになっていく事が理想です。 最初はお互いに言葉でイメージしますよね。そこから始まって、ある一定期間、お互いセッションしたり、作業したり、ちょっとした会話が、4〜5ヶ月後に本当に実現するわけじゃないですか。家の中に、本当に何もなかったものなのに、お互いが話し合ったときから生まれた未来を作れるっていうことなんです。イマジネーションですよね。 自分がイメージしていた空間の中に、数か月後自分が入れる。そう考えたら面白いよね、ということを伝えながら進めていますね。居心地のいいところに行きたいんだよね、僕は。自分自身もそうだし、依頼されて納めるところだって居心地のいいところにしてあげたいし。全体がこうなって欲しいよねとか、空間意識をもっとみんなに持ってもらいたいなっていう思いがあるわけです。 移動することで、 新しい自分が見えてくる。 フリーとして依頼されている仕事もこなしながら海外旅行に行き始めた時、人生がすごく明確になったんですよね。それはもういろんなところに行って、4ヶ月ぐらいアメリカとかメキシコとか中米を周って帰ってくるんですけど。一番しっくりきたのはその後に行ったバリ島でした。いろんな場所を周っている中で、自分が子供のときに味わった日本の風景みたいな、すごく癒されて幸せな感覚があったから。そういう暮らしぶりをしながらも、単純に東京とかニューヨークとか、そういうのも知ってるし、でも田舎も知ってる。ちゃんとバランスが取れた生活をしているのが一番面白いなって。 その後東京に帰ったんですが、もうちょっと自分のペースで全部作ったりしてみたいので東京じゃ難しいかなと思っていて。どこだろうって考えていたら益子という町が見つかって、いろんなことを自分で自由にやれるようになった。だから、その旅行がきっかけです。 移動することで、新しいものに出会えるだけじゃなくて、前にいた場所が俯瞰で見れる。自分がどういう人なのかという意識や、どこを目指せばいいのかみたいなことを一生懸命考えるようになる。それって、同じところにずっといるとわかんなくなっちゃうから。移動することって、すごく大事だと思うんです。 暮らしぶりが大切。 その場所を心地よくしたい。 カントリーサイドの景色で一番綺麗だなぁと思うのは、ちゃんと手入れがされている土手の景色。それを僕は文化だと思っています。海外に行ってもそれがすごく綺麗なところって、やっぱり文化度が高いから。工業的になっていくと文化的な部分が薄れてしまうけれど、先進国じゃなくてもすごくちゃんと丁寧に手入れしているところって、やっぱり人としても綺麗なんですよね。だんだんリンクしていく。結局は、暮らしぶりなんですよね。自分も含めて、そこの中にいたい。心地よく暮らしていくところを増やしていくっていう、そういう意識の人が増えてくれるといいですね。